top of page

アクティブペイシェント・山岡鉄也さん①

今回は「アクティブペイシェント」山岡鉄也さん(50代)です。

1-1.jpg

皆さん、山岡さんを知っていますか?肺がん有名人ですよ(そんな言葉あるのか?)。国が進めている「がんと就労」の問題に関して活動や提言をしていたり、学会などでも講演したりしています。来月には、世界肺癌学会(アメリカ・デンバー)に出席し、情報収集や話をしてくるとか。すごいですね。今回はそんな山岡さんにインタビューしました。

山岡さんのお話でかなり驚いたことがあります。「QOLの維持向上を積極的にやると、治療にも生活にもいいことがある」ってこと。あの、なんというんだろう、患者は「QOLあげること」って当たり前のことだと思っていますよね。そしてQOL上げるために、自分はいろいろやっていると思っている。でも、山岡さんのお話を聞くと、その感覚がひっくり返ると思う。「実はもっともっとできることがあるんだ!」と、気づかせてくれる感じです。

 


具体的になにをしたのかというと・・・

 


「早期緩和ケア」や「がんリハビリテーション」


ん!? がんリハビリテーション、聞いたことないですか?怪我してないからリハビリ関係ない?いえいえ、違います・・・ずばり、早期からステージ4まで全員関係大ありですよ。是非、この機会に知ってくださいませ。私・さくえもんもこのインタビューで知りました。

 


あとね、逐一、話の中に奥様の話が出てきます。そこもポイントですよ。

 


では、スタートです。どうぞ~。

 

<病歴>

2010年7月  腺がん・左下葉原発・リンパ節、
                     両肺内微小結節多発転移でステージ4

        EGFR変異陽性(エクソン19欠損)

        パクリタキセル+カルボプラチン
                       +アバスチン 4クール

        アバスチン維持療法 6クール

2011年3月  イレッサ

2013年2月  アリムタ+シスプラチン+アバスチン 2クール

        アリムタ維持療法 5クール

2013年8月  セカンドイレッサ

2013年12月  アブラキサン   緩和ケア科の併診開始

2014年1月  治験に参加

2015年2月  がんリハビリテーション 併診開始

 



奥様と二人で東京都内に暮らしている山岡鉄也さん(50代)。出版社に勤務し、インターネット部門の企画営業部長として、精力的に働いていました。ところが5年前の夏、肺腺がんと診断されます。

 

春に風邪をひいた後、いつまでたっても咳が続くんです。おさまらない。でも、生活の中心は何よりも仕事で、貴重な平日が丸々一日つぶれてしまう大病院の受診は考えられませんでした。だからクリニックを受診したんです。咳喘息とかマイコプラズマ肺炎だとか、アレルギーとか、言われました。当初はCT検査も必要ないと言われたんですよ。でもなかなか咳はおさまらない。おかしいと思い、今までとは違う病院でCTをとってもらったところ、肺に影が見つかりました。その後、専門病院で詳しく調べて、肺がんとわかりました。

 

 

病状は進行していて、転移のあるステージ4でした。「完治はない」と告げられます。そして、会社を休職し、抗がん剤治療へ。山岡さんはEGFR変異を持っているのですが、当時はその検査に時間がかかったため、すぐにも通常の抗がん剤での治療を開始する必要がありました。

 


下に書いてあるのは、今、山岡さんが講演などで使用するスライドの文章です。肺がんと診断されたとき、患者として大事なことが何か、気持ちの持ち様などが書かれています。一部ご紹介します。

 

・現実を受け止める

・自分の病気を理解する

・自分の治療法を理解する

・逃げない

・ポジティブに考える

 

通常の化学療法プラチナ系とかすごくきつかったです。いや本当に倦怠感とか 嘔吐感とか脱毛がすごくフィジカル的にもきつかったです。何もできない感じだし、味覚も変わっちゃうし。そういう形で患者デビューして何も知識とかないし。周りに仲間もいない。ないない尽くしの中でした。だから今でこそスライドで偉そうに「受け止める」とか書いてるけど、もともと、全くできていない。その裏返しなんです。全くできなくて・・・。やっぱり最初は超ネガティブで、ネットを見ると怖いことばかり書いてあるし、余命とかそういうこと書いてあるし。情報を信じて正面から向き合うというのはなかなか・・・。またネットの検索で上位に出てくるのは、フコイダンとか代替医療とかまともなサイトではないでしょ。でもそういう良い悪いもわからなくて・・・。だからネットを見るのも怖かったです。本当に最初はステージ4で、完治はないというところでかなりネガティブに考えていました。

 

 

そんな中、山岡さんの隣を一緒に走ってくれた人がいました。

 

妻がやっぱりそういうのは正面から向き合わなければいけないとか、変わりに、友人とのつなぎをやってくれたりとか・・・。すべて私は最初に会社にも友人にも情報開示しました。病気はただならぬ状態。手術して治るのであれば何も言わなくても何とかなると思うんだけども、そういうレベルではないというのがわかったから、これは言わなきゃだめだということで、会社とかそういうところには全部話をしようと。あと自分の親とかね。でもそれもすごくしんどいじゃないですか。長谷川さんもご経験されていると思うんだけども、周囲の人に話すのがすごくしんどいし、周りの人もすごく悲しむ。親とか仲のいい人、仲のいい取引先とかに話すのは、すごく大変でした。でも一つ一つストレスがある中で、プライベートで妻と共通の友達には、妻が全部話してくれたんですよね。負担がかなり減りました。

 

結局、山岡さんは自分の身に起こった状況を受け止められるまで3~6ヶ月かかったと振り返ります。そして、だんだんと病気以外のことに目を向け始めました。

 

休職中に徐々に余力ができてきて料理を自分でするようになったりとか、落語を見に行くようになったりとか、仕事中心で芸術に触れることはあまりなかったんだけども、歌舞伎に行ったりとか。名画を見たりとか、本を読んだりして、そこで自分がより感動するようになっているということを感じたりしました。要はメメントモリ(※ラテン語で「人は必ず死ぬことを忘れるな」という意味)ですよね。死を思うから生が充実していく。死は生に先行するというか。うーん、そういうものを意識しているからこそ、毎日が充実する。言うは易しで行うは全然難しいですけれどね。

 

自分が完治しない病気を患っていること。そしてそんな状況になったから見えてきたことがある、そう山岡さんは実感します。そして、そんな山岡さんの中で、ある思いが猛烈に湧き上がっていきました。それは、「社会の役に立ちたい」という思いです。

 

そこそこ体調が良くなって何でも好きなことをしてみようという気になって。最初は悔いなくとか、そういう視点もあって。だけれども、そうやって生きていくようになって、ちょっとした患者会で自分の話した内容がすごく評価されたりとか、最初はそういうきっかけだったと思います。ああ、こんな自分でも役に立っているんだという感じが患者会であったり,同じ会社の方でも山岡さん見ているとすごく勇気がわくんですよとかって言ってくれたりする。それもお世辞じゃなくて言っているというのがわかったりとか、そういうことでした。

結局はあれだよね、自分の好きなことをやっていると楽しいは楽しんだけれども,がつんとした手ごたえはない。本当に楽しいというのは、人様のお役に立てていることを実感しているときに楽しいということに、途中で気が付いたんです。

 

さて、治療の方はというと・・・最初の抗がん剤は9ヶ月ほど続きました。二つ目の薬はイレッサです。イレッサは通常の抗がん剤と比べて、副作用も軽い。肝心の効き具合のほうも、「良好」でした。

そして病気の発覚から、1年数ヵ月後、山岡さんはついに仕事への復帰を決意します。

 

その意思を会社に伝えると、人事や上司が前向きに検討してくれました。主治医や産業医と相談しながら、復職の道筋を立てました。週に一日の出勤から始まり、少しずつ週の出勤日数を増やしていき、「体は大丈夫か?」などを確認していきました。復帰後は、それまでの管理職から、部下のいない専門職になりました。正直、複雑な思いもあり、1週間ぐらいは落ち込みました。でも妻は「えーなに?100%良いに決まってるじゃない」と確信を持って励ましてくれました。

 

山岡さんの仕事はそもそも企画営業でした。仕事は与えられるのではなく、自分で作ります。「社会に役立ちたい」そう思っての仕事復帰でした。ならば自分は何をすべきか・・・?考え続ける中で浮かんできたのは・・・

 

(復職に当たって)試行錯誤がありました。やっぱり、うちの会社自体も戸惑っているところもありました。手術で完治して戻ってくる人は、同じ復職でも、同じ仕事に戻ってこれるケースがありますよね。多少マイペースに仕事を変えるにしても元の仕事ができることもある。私のように今後も治療を続けながら原則残業しないで、折り合いをつけながら、治らないがんとともに復職する人、というのは初めてだったわけです。それはきっと多分他の企業も同じだというのがだんだんわかってきて、一つ一つのことに人事も戸惑っているし、上司も前例のないなか配慮してくれている。そういうのがわかるわけです。で、がんとともに働くことに対して啓蒙活動が必要だなと思っているときに、ちょうど国立がん研究センターでも、「実はがんと就労、国としても力をいれているんですよ」とわかってきた。ああそうか、国もそういうふうに思っているのか、まさに自分はそれに直面している。このような経験を生かして、その環境改善を進めていくっていうのは自分の知見が生かせるかなと思って。で、自分の会社が出版社ということもあって、そういうことがやりやすい状況にもありました。

 

「自分自身の体験を仕事に生かす」と決意した山岡さん。

 


医師たちもそんな山岡さんをバックアップしました。山岡さんはこの時、かけられた言葉を忘れないだろうといいます。

 

「今のお仕事は、まさに神様が山岡さんを選んで依頼したようなお仕事ですから、ぜひ頑張ってください。」

「ミッションが山岡さんに与えられました」

 

医療者だから、軽い慰めなんかしてもしょうがないじゃない。だから結構厳しい状況だけれども、こういう感じで仕事とも両立できているんだから、それは、天命だ、と。神様が与えてくれた仕事なんじゃないか、というふうに言われて・・・。僕はへそ曲がりなところもあるのですけれど、複数の医療者から言われると何となくそんな気になって。

 

―――複数の方が?そういうこという?

 

そうそう。そういうふうに言ってくださるので、その気になったというところはありますね。まあヨイショされたのでしょうけれど。(笑)

 

山岡さんの仕事を紹介すると

がんと就労に関する書籍や小冊子。大きな病院が進めている「がんと就労」プロジェクトの事務局、などなどです。

みなさんも、一度は目にしたことがあると思いますよ。

bottom of page