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体験者インタビュー・大西幸次さん その1

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ライター:なかちょん 

 

 

 

 2011年に三重県がん相談支援センターのピアサポーター活動に参加し2013年には全国でも数少ない肺がん患者会「三重肺がん患者の会」を立ち上げ、偶数月の第一日曜日に肺がんサロンを開催。現在は三重県の教育委員会からの要請を受け、三重県内の小中学校でがん教育の出前授業も行っています。驚くところは肺がん歴9年で現在は治癒状態にあることです。どんな治療をしどんなことをしてきたのか?気になるところはたくさんあると思いますので早速インタビューしていきたいと思います。

 

 

 

<病歴>

 

2007年1月 肺腺がん・右中葉原発・縦隔リンパ節転移・ステージ3A・遺伝子変異なし。

COPD(肺気腫)も同時発覚。

 

カルボプラチン+タキソール(3週間に1回)+放射線64Gy(35回)

 

以後経過観察のみ。

 

 

 

 

-がん発覚まで-

  

 

 

 

 会社の健康診断でした。肺気腫の疑いがあるので念のために呼吸器内科のある病院で肺のCTを撮ってくださいという案内というか通知をもらったので、まずは呼吸器科のある病院をネットで調べて市民病院に行きました。そこでCTを撮った結果、医師から告げられた言葉は「確かに肺気腫はありますけども、別のところに肺がんがあります。レントゲンでは写らないところにありCTを撮ってよかったですね。ただ、画像上だけですので組織を取って調べてみないと確定ではありませんが99%悪性です」と、その場でいわれました。だから、COPD(肺気腫)がなければ癌がもっと進行していたのかな?というふうに思います。

 

 

 

 

当時、がんについて何も知らなかった大西さんは、がんという告知を受けてもあまり衝撃を受けなかったそうです。

 

 

 

 普通は告知を受けたら頭が真っ白になるとかいわれるんですけども、僕はそうはならずに組織を取らないと確定ではないのに99%悪性やって言われる根拠が知りたくて突っ込んで聞きました。

 医師は再度画像を見せて「右の中葉の腫瘍、そしてこの縦隔リンパ節の腫れは転移と見て間違いないでしょう。申し訳ないですけどもステージ3Aになります」こう言われました。 そのときにステージという言葉も初めて聞くので、3Aっていう言葉を聞いて僕はステージは10まであるものだと思い、何や10のうちの3かっていうような感覚でいて医師に10のうち3だと初期ですかね?と、聞くとステージは4までと返されましたが、ステージ4までっていう中にも、3A、3B、3C、3Dとか、ABCDがいっぱいあって、まだまだなのかなあみたいな感覚がありました。そのとき看護師さんがステージの表を持ってきて説明してくれました。 その表の横に5年生存率のグラフがついてて、3Aの5年生存率をぱっと見たとき20%台のとこに下がっていく線が見えて少し驚きました。でも僕はタバコを1日30本も吸ってたし、タバコの箱には肺がんになる可能性が何倍になるとか書いてたから、あれはほんとなんやなあと何か変に納得してしまったところがありました。

 ただ、この宣告を受けた日は今でも覚えています。 2007年の1月23日の火曜日です。僕の中では記念日みたいになってますね。(笑)

 

 

 

 

-家族の反応-

 

 

 

 検査当日は午後から仕事を入れてたのでそのまま仕事に行きました。9割の確率で悪性やから治療に入って、しばらくお休みをいただかないといけないので、まずは職場に報告をしました。で、その職場で報告をしているときに、妻からメールがあり、メールで肺がんでしたとは書けないので、とりあえず家へ帰ってから話しますっていうふうに返信をしたら、今度はすぐさま電話がかかってきて、家へ帰ってから話しするっていうことはどこか悪いとこがあったの?といわれ、詳しいことはメールや電話、ましてや職場からは言えないし、とりあえずそのときは電話を切りたいという思いがあって、どう言ったか覚えてませんがすぐ切りました。

 仕事を終え帰宅した時には妻と次女が待っていました。家族にどう伝えるか電話を切ったあと考えてましたが結局、僕がその日伝えられた事をそのまま二人に伝えました。当時21歳ぐらいの次女は最後まで黙ってましたが、妻はいきなり泣き出し仕事を辞めると言って、ずっとあなたの横についていると言われたけど、いやいやちょっと待って、僕が辞めるんじゃなくて?万が一僕が動けないといったそういうふうな状態になってから辞めるっていうのなら別に反対はしないけど、今のところ僕はまだ死ぬと決まったわけじゃないしこれから治療が始まるので、とにかくそのまま今までどおりにしてくださいと話をしました。

 

 あとから思うと何か自分の家族に伝えるっていうところで受け止められる時間ができたのかなって思ってます。このことをきっかけに家族との関係性も良くなったと思います。(笑)

 

 

 

この後、一泊二日の検査入院をし、その結果を待つ間に会社の上司や知人いろんな人からのアドバイスがあり考えさせられてセカンドオピニオンを決断します。

 

 

 

 

-迷い~命の選択-

 

 

 

 

 検査結果後、僕の場合は右の上葉にCOPD(肺気腫)があって、中葉に腫瘍がありますという状態だったので、手術しようと思えばできたんですが、どちらにせよ抗がん剤治療が要るので抗がん剤治療をするのであれば、手術をするより放射線治療のほうがQOL(生活の質)がいいでしょうと判断されました。また腫瘍を小さくして手術で取り除く事も可能という話も受けました。

 

 この結果が出るまでに上司や知人からアドバイスを受け、「そんな地元の田舎の病院でいいのか?」、「もっと専門の大きな病院がいいんじゃないのか?」、「免疫療法がいいんじゃないか?」、「漢方がいいんじゃないか?」など、いろんなアドバイスを受けた中で一番頭に残ったのは「田舎の病院でいいのか?」、「免疫療法がいいんじゃないか?」という言葉でした。確かに、たまたま行った地元の田舎の病院で、たまたまお会いしたドクターに命を預けていいのか?と思ったし、免疫療法ってなんだか名前がかっこいいんですよね。いやほら、抗がん剤って標準治療っていうじゃないですか?車でいう標準装備みたいで(笑)標準装備よりオプションが付いてたり、ハイブリットっていわれてる方がいいやないですか?だから免疫療法って標準の一歩先を行く治療みたいだし、やっぱ名前がかっこいいと思ったんですよね(笑)

 

 しかし、大きな病院のドクターを知ってるかっていうと知らないし、そんな情報もなかったので、どこに行っていいかもわからない。だから仕方がないのでこの確定診断を聞くときに、主治医の先生を信用してないわけじゃないんですけども、僕の命がかかっているので、とりあえずもう一人だけ専門の方の話を聞かせてほしい。というふうに言ったら、すぐわかったって言ってくれて、じゃあ大きな専門の病院へ紹介状を書いてあげるから明日行っておいでって言われたんです。そして、その結果をまた僕に聞かせてくださいと。

 

 

 

素晴らしいです。ほんとに良い病院に行かれたというか、良い医師に恵まれたというか、今の時代だからこそセカンドオピニオンに対して心良く紹介状を書いてくれる医師が多くなりましたが、10年近く前だと不興な態度や雰囲気を出す医師も少なくなかったと聞きます。

この後、大西さんはセカンドオピニオンを受けた大きな病院でも勇気もらえる応対をしてもらい、心置きなく治療に専念していく様を見てほしいと思います。

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